昭和63年(1988)に、小学館から出版された激
レア文庫・戦国覇者の]忍耐極意『徳川家康と天下平定』
(初版)である。
執筆陣は、当時の錚々たる歴史学者と時代小説家が
名を連ねている。紙の原稿用紙にペンで一言一句を書き
留めている。その行間には、長年の研鑽成果が凝縮され
ている。
【忍耐と我慢鎧の戦国覇者】
「鳴かぬなら鳴くまで待とうホトトギス」「人生は重荷
を背負いて坂道の上るが如し」とは、家康の人柄を物語
る端的な言葉だ。
戦いには、時が肝心である。武将たる者、天下人とな
り得る状況把握こそ第一である。古代中国の猛将・項羽
は劉邦に勝ち続けたが、最後に勝って後漢の国の主とな
ったのは劉邦(太祖高皇帝)であった。天下人とは、最
後に勝利した者を指す。
「織田が搗き、羽柴がこねし天下餅、座って食うは徳川
家康」とはよく言ったもので、群雄割拠の戦国米をつき、
上洛し足利義昭を将軍に据えて、天下へ睨みを利かした
のは信長だった。浅井・朝倉、松永弾正、石山本願寺、
伊勢長嶋の一向一揆、武田勝頼などを滅ぼし、比叡山延
暦寺や伊賀衆に大打撃を与えた。本州の近畿・中部を勢
力下にした所で、信長は本能寺で倒れた。
伊賀越で九死に一生を果たした家康は、信長の弔い合戦
の山崎へ馳せ参じることはできなかった。その後の清洲
会議、賤ケ岳の戦い、痛み分けの小牧長久手の戦い、そ
して小田原北条総攻めにより、秀吉政権は磐石餅と相成
った。だが、二度の朝鮮出兵暴挙と、若き茶々姫(淀君)
に女狂いし、秀吉は晩節を汚した。最大の補佐役の秀長
の死も豊臣家の痛恨事であった。
結局、関ヶ原と大坂落城の二枚の天下餅を、座って食
い、江戸三百年泰平の礎を築いたのは家康であった。
⑤『家康と天下平定』
●概説 村上 直
●「徳川家康」 児玉幸多
※周到な人心掌握と忍耐で開いた二百六十年の泰平
●「関ヶ原の戦い」 南條範夫
※天下分け目の合戦に勝利した人望と計算
●「大坂の陣」 五味康祐
※難攻不落の名城を骨抜きにした家康の知る
●「淀君」
※稀代の悪女か、愛強き母か
●コラム「戦国と覇者」 神谷次郎
戦国武士道
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本の状態は、紙カバーをガードした透明ビニールカバ
ーも健在で、個人所蔵「美本」である。35年も前の本
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